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3件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1984-04-12 第101回国会 衆議院 農林水産委員会 第8号

おわんから建物まで、そして木器、家具、こうなると地元に一つの密着ができていく、こういう形なんです。  私のふるさとの青森県には津軽半島、北の方から市浦、中里、金木営林署がある。そして、今度は奥羽線沿いには碇ケ関、大鰐、黒石、青森日本海岸の方に行くと鯵ケ沢、深浦。ここでみんな立木で持ち去られている。ここでも製材業がこのごろ破産し始めている。ここで木工が育たない。

津川武一

1984-04-12 第101回国会 衆議院 農林水産委員会 第8号

「オーク・ヴィレッジ」というのはドングリの木の村で、ここでは「「お椀から建物まで」を合言葉として、木器、家具、織物、藤製品、鉄器などを手づくりしている。」あの飛騨の高山でああいう精密家具が発生する根拠もここいらにあるわけです。これを見て、屋久杉からいろいろなものを見せていただいて、私はいいなと思いました。  この間、「喜びも悲しみも幾歳月」という映画を見て感動したわけです。

津川武一

1947-12-04 第1回国会 衆議院 本会議 第71号

第二に遺物に関しましては、この登呂遺跡彌生式土器時代であつて、金属器とともに石器をも使用していたことがわかり、木器の製作から見て、当時すでに鉄製のちような、のみ、小刀の類が存在していたことがほぼ明らかとなり、木器、木製品がおびただしく出土し、その中には、すき、くわや田下駄のように、現在農民の間で用いられているものも少くないことがはつきりし、或はまた、彌生式時代発火法——火をおこす方法が初めてわかり

福田繁芳

1947-09-23 第1回国会 衆議院 文化委員会 第7号

つき局長も申しましたように、昭和十八年に、住友金屬工業の工場を建てる場合に、工事をした場所から偶然木器が出たのがその端緒であります。當時は戰争中でありましたので、ただ静岡市の郷土史研究家が中心になりまして、多少ほかの者がはいりましたが試掘をしたのであります。その後戰争がだんだん激しくなりましたので、とうていその發掘か行われなかつた。

犬丸秀雄

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